「ゼロ秒思考の麻雀」レビューと思考リソースについて

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最近発売された戦術本「ゼロ秒思考の麻雀」著者ZERO。ZERO氏はオンライン麻雀天鳳の有名な強豪プレイヤー(現十段)で、麻雀のブログも書いている方です。筆者もブログを読んだことがありますが、戦術や対局時の思考を非常に分かりやすく書いていた印象です。また思考時間の節約や情報の取捨選択に注意し、いかに実戦で現実的に高いパフォーマンスを出せるか、という点を重視している印象がありました。今回の「ゼロ秒思考の麻雀」もタイトルで分かる通り、知識やセオリーのインプットはともかく、いかにそれを対局時に体現するか?ということを重視した戦術書になっています。思考のシステム化、脳内リソースの最適配分などと言えますが、これはとても大切な考え方ですので、戦術書のレビューと共に考えていきます。

目次

全体的な思考の速さ>局所での思考の深さ

人間の思考は基本的に速さと深さが反比例するものです。物事を速く考えたり、即判断すると、精度が犠牲になります。逆に深く熟考するためには時間が必要になります。麻雀に求められる思考というのは速さのある思考です。麻雀は常に情報が増え、それらの情報と自分の手を照らし合わせながらゲームを進めていく必要があります。しかも自分の手番が来ても現実的に使える時間は数秒です。将棋のように持ち時間がたくさんあって自分や相手の動きを深く深く考える技術とは違い、相手3人分の捨て牌や動き、自分の手の動向などの広い情報を見えないものの推測もしながら速く処理しないといけないゲームです。つまり、重く深い思考よりも、広く速い思考が必要になります。そして時間内により多い情報を処理するために必要なのが、思考のシステム化によるリソースの圧縮です。

思考のシステム化によるリソースの圧縮

人間の思考リソースは有限です。仮に100のリソースがあったとして、理想は自分の手牌の思考に20、相手の捨て牌などの情報を考えるのに20×3、それ以外の場の情報に20、と様々な情報に過不足なく使うことです。しかし特に初心者は自分の手に95、場の情報に5程度しか割けないというようなことが多いです。自分の手ばかり見て、場の状況はドラを見ていればいい程度、リーチがかかってやっと相手の河を見る、というのは初心者に多く見られる光景です。なぜそうなってしまうのか、初心者と上級者のリソース配分の差は何なのでしょう。これは思考の使い方に慣れているかどうか、というのが大きいです。思考の使い方に慣れている、というのは情報の取り方や扱い方に慣れているか、ということです。具体的に見ていきます。

多くの場合、リソースの使いすぎに陥るのは自分の手牌についての思考です。自分の手は常に見れますし、一巡ずつツモ牌が来て何を切るかを考えるというのが麻雀の主な部分でもあります。この打牌に優劣をつけるのが牌効率の知識や技術です。問題はこの牌効率の技術がどのくらいあるかという点です。牌効率が上手な人というのは色々な牌姿のパターンを知っています。どういう時にどう切ればいいのか、2シャンテンの時、1シャンテンの時、ヘッドレスの時、役牌を残すべきとき・・・とさまざまな知識を体系的に知っています。すでにある程度知っている知識や技術ですので、自分の手を見たときにこれはどのパターンでどうすればいいのかという判断をしやすいです。もちろん複雑になると難しいこともありますが、見慣れたパターンであれば頭より先に手が動く、というレベルにもなると思います。これが思考がシステム化された状態です。こうなるとその部分には全く思考リソースを割かなくていいので余裕が生まれます。そしてその分相手の捨て牌や場況に注目する余裕が生まれます。なので、自分の手しか見ることができない、という人はまずは自分の手を考えるときに軸になる技術、牌効率をしっかり勉強することをお勧めします。

また、相手の捨て牌や場況を見るために重要なのは、場を見ようと意識することです。当たり前ですが、そもそも目線を上げ場を見ようとしない限り場は見れません。たまに、明らかに思考の余裕があるのに手牌しか見ていない人がいます。もちろん手牌に意識が囚われているのは仕方ないのですが、それでも気付いたら場を見る癖をつけましょう。筋肉のトレーニングのように、脳も負荷をかけ続けると慣れていきます。そのうち自然と適度に場況に注意を向けることができるようになるはずです。つまり、場を見渡すことがシステム化されていきます。

前もって知識や技術が足りていると対処が容易で応用もききやすく、そこに使われるリソースを節約することができその分を他にまわせるという考え方でした。これはアウトプットのシステム化です。次はまた少し別のアプローチからリソース節約について考えてみます。

分類によってシステム化された知識

ここから今回のレビュー本「ゼロ秒思考の麻雀」の内容と絡めて考えていきます。今回の戦術本は、ある程度まとまったテーマについて数種類に分類して考えるという戦術の紹介が多いです。例えば、配牌という非常に大きなテーマについて、「通常モード」「はっきり手役を狙う」「遠くても手役を狙う」とたった3つに分類しています。この3種類について、それぞれ不要牌の切り順やホンイツへの渡りを考えていきます。いささか乱暴な分類かと思われるかもしれませんが、これが非常に重要な考え方です。麻雀は無限に思えるほど牌の組み合わせのあるゲームです。手牌と捨て牌や状況を全て含めると全く同一の状況に出会うことは二度とないくらいです。配牌も14枚の爆発的な組み合わせが考えられます。これを毎局配牌を開いてこれはどう進めようかといちいち考えるより、この配牌は通常モードだからこうする、とシステム的に考える方が思考リソースを節約できます。他にも本の中では手牌をトイツ数で分類したり、ケイテン意識の巡目を4種類に分類して考えたりと、大まかに分類→それぞれでの対応という考え方が多いです。これはシステム化して負荷を小さくしてから知識を吸収するということです。このようにパターンで覚えることで、インプットとしても覚えやすく、アウトプットとしても取り出しやすい知識になります。

また、同じく分類といえますが、あるテーマについてパターンごとの重要度をわかりやすく紹介している部分があります。これは筆者も非常に感動した部分ですが、相手のターツ落としを分類し、それぞれに危険度と指標を付けることで相手の手の速度を測るという方法です。相手の手の速度を測る、なんて非常に難しいことのように思えます。しかし、ペンチャン落としであれば危険度1、両面落としであれば危険度4、というように危険度毎にレベルを付け、非常にわかりやすくターツ落としによる速度を分類しています。これもターツ落としの危険度のシステム化です。これさえ覚えれば、あとはターツ落としにさえ気づければどのくらい危険なのかが容易くわかります。捨て牌や場況の情報というのは気付くことも難しいですが気付いた上でその情報をどう扱うのか、というのはさらに難しい部分ですので、この部分を簡略化して理解できるというのは上達の大きな助けになるでしょう。

名付けの効果

もう一つ、この本の特徴として、戦術のユニークな名付けが挙げられます。おそらく一番印象に残るであろうトイトイダッシュ、実際にやるのはかなり難しいカウンティングシステムなど、他にもありますが、とにかく戦術や用語に名前が付いている。これには実は大きなメリットがあります。

まずは読み手が理解しやすく、さらに覚えやすいということ。トイトイにするか?チートイにするか?役牌のみの鳴き手にするか?と考えるより、これはトイトイダッシュの条件に当てはまるのか?と考えた方が考えやすいです。さらに名前にインパクトがあるので単純に条件も覚えやすい。戦術に名前が付いているということも思考リソースの節約に一役買うのです。序盤にピンフのみをテンパイしたとして、これはリーチするんだっけ、と考えるよりもこれはアルティメットピンフのみダマの条件を満たしていたか?と思い出す方が簡単です。

またこれは読み手の上達という点とは関係ないですが、それまで曖昧だった戦術でも定義や名前が付くと一気に検討しやすくなります。トイトイダッシュという戦術の有効さにはまだ賛否両論ある気がしています。それをトイトイダッシュってどうなの?と議論のテーマにしやすく、皆が定義まで知っているという前提で話を円滑に進めることができます。かなり副次的な作用ですが、戦術本という麻雀愛好家の知り得やすいメディアに明確に名称として紹介されることで一気に戦術の知名度が上がり、様々な検討の舞台に上げられます。そしてより洗練された有益な戦術が生み出されやすくなります。

かつて、というか今でもですが、「鉄鳴き」という言葉や「カンチャン即リー打法」という言葉が流行しました。現代麻雀のテンプレ戦術としてこの言葉が果たした役目はそれなりに大きいはずです。初心者でもカンチャン即リー打法を真似して強くなれた人も多いはずです。またそれに警鐘を鳴らすように「クイタン病」「量産型デジタル」というような言葉も生まれました。この言葉のおかげで表面的なデジタル麻雀を再考する機会になった人もいるはずです。麻雀界を考えた時、と言うと大げさかもしれませんが、実力も知名度も持ち合わせている人が戦術を分かりやすい名称にして提唱するというのはそれなりに意味のあることではないかと思うのです。

戦術本としての最適リソース配分

さて、麻雀の考え方として思考リソースを意識した戦術を紹介されているのは上述した通りです。それだけで良い戦術本であると言えます。

さらに、この本が戦術本として素晴らしいと思う点が一つあります。それは、戦術「本」としても最適なリソース配分をしているところです。

一言で言うと、とても読みやすい。

限られた紙面の中で、50のテーマに分け、ミュー先生とZERO氏の対話形式で読みやすい。インパクトのある固有名詞が多く記憶に残りやすい。知識の分類やパターン分けが多く理解しやすい。まさにインプットの為のリソース配分が上手です。

戦術本のような教本系の本はいかに知識が多く体系的に載っているか、というのが大事な点になります。例えば現代麻雀技術論はその意味ではとても優れた戦術本の一つだと思います。ただ、教本である以上、もう一つ重要な点があります。それは「読み手が理解・習得しやすいか?」ということ。知識は活用するために得るのです。戦術本に書かれている戦術は読み手が再現できるようにならないのならあまり意味がありません。読みやすいというのは覚えやすい、理解しやすい、に繋がります。理解しやすい、というのは再現しやすい、につながります。

受験業界では参考書の発展が目覚ましいです。そしてそれは「いかに読み手が理解しやすいか?」というベクトルに向いています。受験で必要な知識は常に限られています。人類が未知の知識は出題されません。英語受験であれば英和辞典を一冊覚えられればほぼクリアできるでしょう。しかし世の中の英語の教本は辞典だけではありません。英和辞典を一冊覚えられる人などいないのです。単語帳、文法書、講義式の本、漫画になっている本、と様々な理解しやすい工夫をした本が売れています。知識の目新しさでは勝負にならないので、いかに理解しやすいか、という点で差別化を図っています。

麻雀の戦術書も発展が目覚ましく、ここ十年程でたくさんの新しい知見が出てきたように思います。もちろんまだまだ未知の部分も多いとは思いますが、戦術本を作る側もそろそろ「目新しい知識の量」という観点ではなく「知識を理解しやすく伝える」という視点での作成にベクトルが向くのかな、と思いました。この本はそういう意味でも良い見本になるのではないでしょうか。

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